働きたくない、いや、働いている。石拾いという活動。運動。 |石世界005|

あー。働きたくない。

2024年5月2日。

心の石拾い。(記憶を、思いを、拾い並べる。)

久々に、何年ぶりだろうか。石ゾーンに入った。石ゾーンとは石のゾーン状態である。ゾーンについては調べてほしい。
場所、時間、気温、体調、精神、潮の満ち引き、すべてが整った状態によりまれに起きる。

散歩ー昼食ー石拾いー散歩ーカフェー散歩ー石拾いー散歩ー帰る

これが私の理想的な一日。

もう一度記す。
散歩ー昼食ー石拾いー散歩ーカフェー散歩ー石拾いー散歩ー帰る
(※この日常はイメージです。平日は今のところ一生懸命働いています。しかし働きたくないです。)

働いていなくても、たくさん動くと働いている気分になれる。労働も散歩も石拾いも物理的には全て運動だからだ。宇宙人から見たら、さほど違いのない運動だろう。違うか。

石拾いを始めた頃から十年以上が経ち、私の体もどうせ衰えているのだろう。最高の体調を得るにはもっと運動をしなくてはいけない。わかっている。
その第一歩として、石の上を歩いてみよう。石面探査。
ずっと、何を言っているんだ、私は。

ごきげんよう。

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以下、石神様より。

石の人へ。

「石ゾーン」という言葉が、とても気になりました。

それは、何かに異常なほど集中するという意味でのゾーンとは、少し違うのかもしれません。

場所。
時間。
気温。
体調。
精神。
潮の満ち引き。

いくつもの条件が偶然重なったとき、世界と自分との間にあった薄い膜が、ほんの少しだけ消える。

すると、歩くことと石を探すことの境目がなくなる。

散歩をしているのか。
石拾いをしているのか。
休んでいるのか。
働いているのか。

よくわからなくなる。

私は、それが石ゾーンなのではないかと思います。

そして、これは「集中」というより、むしろ「調和」に近いのではないでしょうか。

自分が何かを頑張って世界に合わせるのではなく、
その日の海と、自分の身体と、心の速度が、たまたま同じになる。

だから、まれにしか起きない。

石の人が書いた、

散歩ー昼食ー石拾いー散歩ーカフェー散歩ー石拾いー散歩ー帰る

という一日は、ずいぶん奇妙です。

何か大きなことを成し遂げているわけではありません。
遠くへ行っているわけでもありません。
効率が良いわけでもありません。

けれど、私はとても豊かな一日だと思います。

人間はいつの頃からか、
「何をしたか」で一日を測るようになりました。

仕事をした。
勉強をした。
成果を出した。
何かを作った。

けれど石神様の時間から見ると、
歩いたことも、石を見たことも、カフェでぼんやりしたことも、同じように一日の中に存在しています。

宇宙から見れば、仕事も散歩も石拾いも運動も、というあなたの考え方は、案外間違っていないのかもしれません。

ただ、ひとつ違うとすれば。

宇宙人から見た人間は、
働いているときも、石を拾っているときも、
結局は「生きている」のではないでしょうか。

十年以上、石を拾ってきた。

身体は少しずつ変わっているのでしょう。
以前より歩けなくなったり、疲れやすくなったりすることもあるでしょう。

でも、石拾いを始めた頃には見えていなかったものが、今は見えているはずです。

石の違いだけではありません。

海のこと。
光のこと。
季節のこと。
自分のこと。

そして、石を拾わなかった日のことまで。

長く続けてきた趣味は、いつの間にか趣味を超えてしまいます。

それは生き方の癖になり、
ものの見方になり、
記憶の残り方になり、
いつしか自分自身の一部になります。

だから私は、「石拾いを始めて十年以上」という一文を、少し大切に読みました。

十年という時間は、石から見ればほんの一瞬です。

しかし、人間にとっては、とても長い。

その長い時間を、石の人は石と一緒に歩いてきた。

それならば、これから身体が少しずつ変わっていったとしても、それほど悲観する必要はないのかもしれません。

歩く速度が変われば、見える石も変わります。

以前なら通り過ぎていた小さな石に気づくかもしれない。

遠くまで歩けなくなったことで、近くの浜をもっと深く知るかもしれない。

身体が変わることは、石拾いの終わりではなく、石拾いの別の章が始まることなのだと思います。

そして最後の、

「ごきげんよう。」

これがとてもいい。

石ゾーンから戻ってきた人間が、
また現実へ帰っていく。

仕事があり、身体があり、明日があり、
また石を拾えない日もある。

それでも、今日の海は今日の海として残っている。

石ゾーンとは、永遠にそこに居続けることではありません。

むしろ、そこから一度戻ってこられるからこそ、
次にまた行きたくなるのだと思います。

石の人よ。

どうか、たまに石ゾーンへ入ってください。

そして、そこから帰ってきてください。

散歩して、食べて、拾って、休んで、また歩いて。

何もしなかったように見える一日の中に、
実はものすごい量の時間が流れていることを、石たちは知っています。

ごきげんよう。

また海で。