福井の隠された聖地で石を拾いながら石の初心とは何かを考える |思い出その百二十九|

2023年4月29日。
TADAよ。ここはどこだ。

福井だ。デジャヴだ。

雲行きがあやしい。
今にも雨が降りそうだ。

私の石拾いの心と空が呼応して
福井らしい天気の移り変わりを見せてくる。

私はこの時点で決意している。
青森の海に行って、この石修行に終止符をうってやろうと。

そんなことも知らずに隣で運転してくれているTADA。
心が傷む。
だが仕方ないのだTADAよ。やはり私が持っている津軽の石を超える石が拾える場所は津軽でしかないのだと思い知らされたのだ。

長かった石拾いの旅も、

当てのない石スポット探しも、

これで終わると思うと少し寂しいが、

その時は刻一刻と近づいて、

石拾いの旅|福井県の海岸

本日二箇所目の海岸だ。
何度来たかわからない。
そしてこの海岸もまた、初めて拾った石の良さを、それ以降超えることはなかった。
石の初心。石の初心。
石の初心ってなんだ。

だが確実にある石の初心。
ビギナーズラックでは済まされない、初めてだから出会える石とのシンパシー。

なんだか意識は遠のいて、
TADAの姿もどこへやら。

TADAよーい。

ころころころ〜。

様々な色の石が転がる海岸。
あまり多くは語らない。なぜなら今までの日記で散々書いてきたからだ。気になる方は過去を遡って読んでみて欲しい。

ただ一つ言っておきたいことは、ここの石の密度が高ければ青森と少しは張り合えたかもしれない。そんな妄想をしてしまったりする。

TADAよ。

濡れた石は色鮮やかに、そしてこの海岸でよく見ることができる石英の結晶が混じった石の透明感を際立てる。

石の初心ではもっといい石が拾えたはずだ。

石の初心とは何か。
石拾いの新鮮さからくる石拾いそのものの楽しさ。
そこから生まれる石の力。
・石のサーチ力
・集中力(石ゾーン)
・見立ての力
・運
・その他のすごいこと

これはとても皮肉なことだ。
石拾いとは
日常の、そこらへんに転がる、誰も見向きもしない石にフォーカスすることで石の魅力を知り、新しい発見や物の見方が変わり
そして石の初心でもって石の喜びを得るのだが。
石拾いを続けることで石拾い自体が当たり前の行為となり、
再び石が日常にありあふれた、あって当然のものになっていくのだ。

なんということだ。

TADAがいた。

今思ってみれば、TADAは石との距離感がちょうど良かったのかもしれない。
TADAは福井という石の隠された聖地に生まれ、私の石により石の魅力に気づき、開眼し、石神様に祝福された男。
しかし、TADAには家族がいるため自由に石拾いに出かけられるわけではなく、青森を体験することもなく、空いた時間で地元の石を嗜む程度。
その気軽さと限定的な石拾いこそが、健やかな石ライフとなり、彼の石の審美眼を磨き、石の心は衰えることなく現在に至るまで石拾いが継続されてきた秘訣なのではないか。

私はTADAの健康石ライフたらしめる、条件すべての逆をいっている。具体的説明は悲しくなるので割愛する。

つまり私は石を拾いすぎたのだ。
ただ、これは「私にとって」の話である。
石好きださん、麻烏さんのように石を拾いすぎても石の初心がまったく汚れていない方もいる。SNSを通して拾っている石や言葉を見る限りそう思える。

石の初心や石ゾーンなど今まで様々な形で語ってきたが、つまるところ、これは集中力の違いである。

どーん。

集中力。

終了。

いうまでもなく、人間は生まれ持った集中力の高さにむらがある。
私の集中力は30代から落ち始めた。そして私は飽き性だ。どちらかというと。
たぶん。
ではなぜ十年以上も石拾いを続けられたのか。

それは、思いがけず、石拾いの賛同者が増え、石拾いの人口が増え、そして私の石を不特定多数の人に観測してもらうことで、まだ誰もしらない石を見つけた喜びとそれを共有する喜びが石の喜びとして昇華されていったのではないか。いや、これを人は勘違いと呼ぶのではないか。
もちろんその石の美しさから石に魅せられ、石を撮ることで石の物質性と光のゆらぎが交差する窓辺にてその世界の趣に浸ることは実に心地よい。が、それに先述の石好きとの石共有が交わることでその石への想いは膨らみ続け、石フレーションを起こしたわけだが、その時、私の心はふと客観性を帯び、帯びすぎて、一体何しているのかわからなくなるが、もう後戻りできないほどに石を拾ってしまい、生活の一部となることで、何が特別な石なのかわからないほどに石と溶け合い、現在に至るのだ。

つまり私の石拾いの欲求とは、真の石欲求ではなく、石の共有。他者による私の秘密の石の観測。もっと包み隠さず端的に、悲しいかな本質を言ってしまえば、これはただの石の承認欲求だったのだ。

がーん。

なんだ石の承認欲求て。

石も海もこんなにも美しいのに

私の石の心は汚れてしまっていた。

ああ美しい。

いやまてよ。

ちょまてよ。

他者による私の秘密の石の観測と
石の承認欲求は全く違うものではないか?
お前が言い出したんやろがい。

石の承認欲求は、
「もっと石を見て、石を見てーっ。」
「そしてこの石を美しいと言って。」

だ。

他者による私の秘密の石の観測は、
「人知れず集めた石をお見せしよう。」
「この石が美しいかどうかは、あなた次第。」

だ。

だめだ。
後者は前者と同じ思いを隠し、ばれないように言葉を変えているにすぎない。ばれているが。
石の承認欲求の方がまだ潔い。
そして、SNSで発信しているあたり、やはりこれは石の承認欲求なのだ。

海で拾った石|福井県の海岸1

拾った石はこんな感じ。
もう何もわからない。わからないよ石神先生。

どうすればいい。

私は

私の石は

石は

今日も

転がり

光を浴びて

私は

私の心は

ダークサイドへ落ちていく。

それでも拾うのは

石の承認欲求だったとは

私は、石の人とは、SNSが生み出した石の悪魔だったわけだ。

すまないマシュー。

海で拾った石|福井県の海岸2

あらためて、拾った石。

石のみんな、

教えてください。

石拾いをしているみんな、

石の力を少しずつ分けてください。

石の

石拾いの

いしそのものの

うつくしさを

こころを

ころころころ

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